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心から

 投稿者:巳埜  投稿日:2009年 7月28日(火)22時17分36秒
  心から ご冥福をお祈り申し上げます。
また、逢えるようにと願っております。
 
 

悲しいお知らせです。

 投稿者:かつらぎ もえメール  投稿日:2009年 6月25日(木)00時25分41秒
  黒猫院をいつも愛し、支えて下さっている方々に、悲しいお知らせをしなくてはなりません。
黒猫院は、6月23日午後一時ごろ、横須賀の衣笠病院にて急逝いたしました。
51歳になったばかりでした。
(黒猫院は私の従弟にあたります)

24日、私は、黒猫院の伯母である母とともに、衣笠病院及び自宅に駆けつけました。
原因は、肺血栓によって起こった低血圧によるショック死との診断でした。
でも、顔はいつもの彼の穏やかな顔で、ほほえんでいるような、ただ眠っているだけのような安らかな顔でした。

彼の友人知人、ご近所のおじいちゃん、おばあちゃん、こどもたちが次々と訪れて、悲しんでくださる姿に
(なんて幸せなヤツなんだろう!)と思いました。

いろいろな病気を抱えながらも、精一杯人生を生き切った彼に
(ご苦労様!あっぱれな人生だったよ。いろいろとありがとう!
おじさん、おばさんのところで、楽しくやってよね!)
と言ってやりたいです。

彼をいろいろと支えてくださった皆様に、心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました!!

【黒猫院の葬儀について】
通夜:2月26日(金)PM7時~8時
告別式:2月27日(土)AM11時~12時
場所:三浦海岸 いちょう会堂 (三浦市南下浦町上宮田3529)
   TEL046-889-3470
喪主:市川 裕 (本人のはとこ)
 

怪傑エミちゃんねる1

 投稿者:黒猫院スタッフ  投稿日:2009年 6月16日(火)05時51分23秒
    10年くらい前に「上沼恵美子のえみちゃんねる」というトークと料理のテレビ番組が、関西のキー局から放送されていたが、その頃はまだここに登場するエミちゃんは、まだ女子高の一年生だった。将来の事は、部活の友達同士で話すことはあったが、具体的に決めていたわけではなかった。その頃の最も重要な話題は、まず安くて美味しくてたくさん食べられるお店がどこにあるかと、効率が良くて時給が高いバイトを見つけられるかということだった。エミちゃん達のように部活もやりたいと思っている全日制の高校生には、中々良いバイトというのがない。ただでさえ部活の一年生はやることだらけで、日曜日や長い休みの間ですらも試合や練習や合宿などに時間を取られる。授業間の空き時間や深夜でもバイトの出来る大学生や、フリーターと称する自由身分(プータローと自分から言う人もいる。)の人と違って不利だと思うエミちゃん達だった。部活はお腹が減る。バイトは不可欠なのに、やる時間が少ないからあまりお金にならない。悪循環だと思っていたところ、部活の先輩からあるお誘いが来た。今にしてみると、その「お誘い」が今の仕事との接点だったようにエミちゃんは思っていた。  

良き日の想い出001

 投稿者:宮毘羅  投稿日:2009年 6月 9日(火)03時04分46秒
    子供の頃、小学校の卒業記念製作で、『わが生い立ちの記』という文章を書いた。宿題の趣旨で、Yハヤシ先生が言ったのは、「生まれてから就学前までの事は、お父さん・お母さんに聞いて、原稿用紙100枚を上限で書いてください。」とは言っていたけど、誰しも10枚程度でお茶を濁そうと思っていたのは事実だった。当時既に大多数の家は、何等かの形で『共働き』か、子供が複数家にいる状態で、親に余裕がなかった。また、聞き書きをまとめる力のある子供は、少なかった。

  3月19日が卒業式だったはずだから、その宿題は2月の始めには出ていたように思う。私は、それが出された日の夕餉に父母にお伺いを立てた。すると、文学好きの父は、納得した様子で、「記念だからイイものを書けよ。」と言い、母は「いろんな事がたくさんあったから、整理しながら話してあげるのは難しいねぇ。先に私が思い出しながらノートを作るから、それを読んで疑問に思ったとこは聞いてもらって、他は自分の言葉で作文したらどうだろう。」と提案した。父が42歳、母が45歳の頃だった。2人とも戦前(太平洋戦争前という意味)の生まれだったから、『小学校卒業』という言葉の持つ意味が大きい。大正時代末から昭和1桁に生まれた世代が小学生の頃、義務教育として国家が個人に手を貸してくれるのは、『小学校卒業』までだった。

 うちの場合、父はその後私立の中学校(旧制度の5年生の中学校。教育過程の内容から判断すると、東京市内にあったそれは、今の中学校+高校の内容を持っていたと推察される。)へ進み、母は特待生で女学校(女学校は、女子の行く中学校の意味合いで、主に県立や府立が特に『高等女学校』の名称を用いていたのに対し、市立や私立は『女学校』を用いていた。)へと進んだ。(父は、戦時中でも標準の5年で卒業したので、『卒業証書』を持っていた。が母の方は、大病で中途退学したのでそれがなかった。戦争の影響で東京から祖母の郷里へと疎開したときに、各種学校枠の実業女学校の非常勤講師をした祖母の引きで入学・卒業をしたようだった。名称は『裁縫女学校』と言っていたと思う。和裁を教える2年生程度の学校と聞いた。)

  さて、説明が長くなってしまったが、母の提案に私が小踊りするくらい喜んでしまったのは、今更言うまでもないことだった。
 

みうらYGこくごノじかん2

 投稿者:歪途乱世  投稿日:2009年 5月29日(金)04時43分21秒
  2つめの
インスピレーションが浮かびました
これはこくごをベンキョウするシステムの1種類です
何それって思うかもしれないけれど
けっこうコレだけでも
イロイロできるのですよ

たとえば
『これは詩かもしれません』
としたときの
『』の使い方とか
『詩』のよみかたを書けとか
句読点を打てとか
句読点て何?とか
句読点ということばを分解しろとか
イロイロ

このこくごのじかんは
たとえば小1のこくごの復習じゃないし
小1のこくごの予習でも学習でもない

新しいNEWこくごノ
発想(はっそう)の仕方
イコール(=)
インスピレーション
1つの
インスピレーションから次の
インスピレーションにつながっていくのが大事(だいじ)
思い浮かべて
書いて
読んでみて
ついでに漢字にしてみたり
英語にしてみたり
スペイン語にしてみたりする
みんなが知っていることと思う内は
なんか恥ずかしい(//△//)ような
気もするけれど
辞書や事典や辞典を引いて
他人(ヒト)の知らないと思われる何かを見つけたとき
きっと「ヤッターマン(^o^)vやったね!」と思うはずなんだ
これを繰り返すと
味を占める
\(^o^)/!」が忘れられなくなる
コレ極意だ
こくごノじかんを楽しむと
ほかのカテゴリーの表現にも興味が沸いてくる
1+2=3とか
S+Vとか
文字をつないでいる記号にはどんな意味があるのか?とか
Sって何?
Vってどういうこと?とか
ドンドン沸いて来るインスピレーションこういうのを難しい日本語で『連鎖反応』とか『連環』って言うんだ

『連鎖反応』の読みは?
『連環』の意味は?・・・
 

みうらYGこくごノじかん1

 投稿者:宮毘羅  投稿日:2009年 5月29日(金)03時50分25秒
  これは詩かもしれないし
エッセイかもしれません
ちょっとした
インスピレーションを
書いてみただけかもしれません
でも、それが
2つめの
インスピレーションに
結びつくかもしれないと思うと
ワクワクです
結びつくと良いなぁ
そんなふうにして
今  書いています
 

キガント・ピテクス・エレクトゥス

 投稿者:黒猫院  投稿日:2009年 5月27日(水)05時43分40秒
    これは直立猿人の種の学名の一つだ。中学の歴史の授業の一番最初に習ったが、本当は人類学の範疇に入る。

 まあ、それはさておき、人間が運動能力的に祖先返りをするのは、いかにたやすいか今回の入院で今更ながらに思い知ることになった。というのも、ある病気でベッド周り以外移動禁止指定を言い渡されて17日ほど経過したが、未だにその措置が解除されていない。数日前まで血中酸素濃度が薄く、運動に耐えられそうになかったせいなのだろうが、その機能が戻ってきても「歩く徒歩」という行為のロストは、それをもう一度獲得する努力が必要なようなのだ。

  これは大変に驚くことだ。筋力が落ちたというだけで、200万年くらいも過去に移動したのと同じ境遇が味わえる。ある人は、もっと身近に「赤ちゃん」に例えるかも知れないが、赤ちゃんの身長や軟らかい関節や全体にプヨプヨっとした形は、怪我をしにくいことの代名詞だからこれは少し違うだろう。猿人は、きっと何かビックリしたのか、樹木に付いた食べ物か果樹そのものの採取かで、つかまり立ちから始めて直立できるようになり、それから少し歩けるようになったのだと思われる。成体として、周りと違うことをする勇気はいかばかりであったろう。

  私も、その内に禁足措置を解かれた時、同じように闘わなくてはいけない。その時は、せっかくだから猿人の気持ちになって過ごしてみたいと思った。
 

仏壇のある家・ない家1

 投稿者:宮毘羅  投稿日:2009年 5月24日(日)10時12分34秒
  子供の頃、家の中に仏壇のある家とそれがない家では、子供時代の精神世界の形成に影響を及ぼすことが有るという。

実際、仏壇の大・小こそあれそこにそれがあるとないとでは家の中の生活導線がまるでちがい、そこに住む人の感覚も結構影響されると思う。
 

仏壇のある家ない家

 投稿者:宮毘羅  投稿日:2009年 5月24日(日)07時50分51秒
  今朝見ていた鼎トークスタイルの番組で、「仏壇のある家」・「仏壇のない家」というのがあった。べつに仏壇は神棚でも  

キリちゃんとみんぼとヘンコ 草稿1

 投稿者:宮毘羅  投稿日:2009年 5月20日(水)11時48分19秒
  ヘンコがキリちゃんと初めて会ったのは、小学校の入学式の日だった。キリちゃんは、結構オシャレで、半ズボンと共布の長袖のジャケットを羽織り、ワイシャツの大きな襟を長袖の襟の上に出していた。背はヒョロリと高く、口数は達者だった。ヘンコの左側の列の斜め前に座っていて、社会科と国語が得意だった。幼稚園からのお友達も多く、休み時間になると競って外へ飛び出して行く子で、ドクターストップがかかっていて、とくに昼休みは教室内にいなければならないヘンコから見ると、うらやましかった。ヘンコも外に出て、風の匂いを嗅いだり緑を眺めたりするのは好きだったが、お友達と一緒に走り回ったり、はしゃいだりは苦手だった。昼休み教室内にいても、いつも5時間めはボーッとしているか、傍目から見て眠っていた。それなのに、試験はいつも90点台か100点で、点数の出ない児童からは不思議がられていた。ヘンコの親が事情を担任に告げている訳だが、児童達はそんなことを知らない。自分達の知らないところで担任がエコ贔屓していると思っていたらしい。  

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